太田宿中山道会館



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営業時間 9:00~16:00
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始
(小松屋は火曜日)
(隠居屋は月曜日)
所在地 美濃加茂 太田本町
駐車場  
TEL 0574-26-0740
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入館料 無料





中山道太田宿について

* 中山道太田宿のご紹介

 「中山道太田宿」は江戸(東京)日本橋から京(京都)三条大橋までを結ぶ江戸時代の五街道の一つ「中山道」69次のうち江戸から数えて51番目の宿場町で、飛騨へ向かう「飛騨街道」、関・郡上へ向かう「関街道」への分岐点を持つ場所として、また、平行して木曽川が流れており、交通・物流の要衝として機能しておりました。



 太田宿は、中山道の三大難所「碓氷峠・木曽のかけはし・太田の渡し」の一つで太田の渡しのある場所で、木曽川の大水の際は、旅人たちが足止めされたといわれております。
 後期には「尾張藩太田代官所」が設置されるなど政治的にも重要な場所でした。
 現在では、「江戸と昭和に出会えるまち」美濃加茂市の観光の中核をなすエリアで、ゆったりとした時間が流れるノスタルジックな町並みとなっております。



* 中山道太田宿のスポットについてのご紹介

01_旧太田脇本陣林家住宅(国指定重要文化財)

 「脇本陣」とは、「本陣」に次いで江戸時代の宿駅制度上の半公共的な宿泊機関として機能しており、宿場町の有力者がその役割を担っておりました。
太田宿においては、林家がその役割を担っており、明治6年(1769)に建てられた母屋が現存し、現在も住居として利用されております。
尚、隣接する隠居家も共に国指定重要文化財に指定されており、一般開放しております。(月曜は開放しておりません)





02_旧太田宿本陣門(市指定有形文化財)

 旧太田宿本陣門は、広大な敷地を誇る太田宿の本陣において唯一現存する史跡で、文久元年(1861)10月、皇女和宮の幕府への下向のために建てられたと伝えられます。
幕府大老井伊直弼、水戸の天狗党武田耕雲斎などの有力者が宿泊していたようです。



03_太田宿中山道会館

 太田宿中山道会館は、平成18年(2006)4月に太田宿の歴史を知る史料館として、その上で文化を育み、観光促進を図る拠点施設として、美濃加茂市役所が建設しました。
 太田宿や中山道にちなんだ企画展示のほか、地域交流のイベントなどが開催されております。



04_旧小松屋

 太田宿の旅籠(旅館)として「小松屋」の屋号で営まれ、当時の建物が現存しております。
 現在は、お休み所として一般開放され、時に講談や音楽などのイベントが行われております。(火曜日は開放しておりません)



05_祐泉寺

 龍興山祐泉寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で、その歴史は文明6年(1474)に遡るといわれております。
 境内には、播隆上人、志賀重昂の墓碑や北原白秋、坪内逍遥の歌碑、松尾芭蕉の句碑が並んでおります。



06_太田の渡し

太田の渡しは、中山道の三大難所の一つで、中山道の旅路において、なくてはならないものでした。
大正15年(1926)、太田橋が架設されると共に役割を終え、「日本ライン下り」として観光産業にシフトしていきました。
「日本ライン下り」は運営形態の変遷を経て、現在も太田宿の観光資源として運営されております。



07_御代桜醸造

 御代桜醸造は、元々太田宿で料理屋を営んでいたといわれており、明治26年(1893)に酒造業を開始しました。
 中山道太田宿は、木曽川水系の清水が湧く水源豊富な地であり、酒造りにも適しているようです。
 御代桜醸造に残る蔵は、明治時代、脇本陣林家のものとして利用されていた蔵を移築し、再利用されたものといわれています。






* ゆかりのある人物

01_坪内逍遥/つぼうちしょうよう

 坪内逍遥は、「尾張藩太田代官所」の手代の息子として安政6年(1859)に太田宿で生まれ、幼年を過ごしました。
逍遥はその後上京し、後に早稲田の講師となり、26歳で「小説真髄」を著述、心理的写実主義の表現形態について整理し、文学の近代化に寄与、晩年にはシェイクスピア翻訳を果たし、演劇の近代化にも多大な貢献を果たしました。
 晩年にも逍遥は、生誕の地「太田」を訪れ、その際に記念撮影をしたムクノキ(太田宿虚空蔵堂敷地内)は美濃加茂市の保存樹として保護されています。



02_播隆上人/ばんりゅうしょうにん

 播隆上人は天明6年(1786)に現在の富山県富山市で生誕しました。
19歳で出家し、笠ヶ岳の登山道の修復、槍ヶ岳を初登頂し、鉄鎖をかけるなど山にかける信仰と山岳整備への貢献、現代でいうアルピニストとして活躍しましたが、天保11年(1840)に太田宿の脇本陣にて55歳で病死しました。
脇本陣の林家は上人の死を悼み、太田宿の西の枡形に位置する弥勒寺に葬り、その後、弥勒寺の廃寺に伴い墓を祐泉寺に移したと伝わっています。

03_志賀重昂/しがしげたか

 志賀重昂は文久3年(1863)に岡崎市に生まれました。
 地理学者として知られ、またジャーナリストや国会議員としても活躍した重昂は、大正3年(1914)に太田宿の横を流れる木曽川の川下りを楽しみ、その景観がドイツのライン川周辺に似ていることから「日本ライン」と命名しました。
 太田宿の祐泉寺境内には、重昂の墓碑があり、太田宿とのつながりを見ることができます。

04_板垣退助/いたがきたいすけ

 自由民権運動の推進者であった板垣は、明治15年(1882)に岐阜市で遊説の際、暴漢に襲われました。このときの事件(岐阜事件)から「板垣死すとも、自由は死せず。」の名言は生まれたとされておりますが、その前日に、太田宿の脇本陣林家に宿をとっていたようです。

05_岡本一平/おかもといっぺい

 岡本一平は、漫画に説明文を加えた「漫画漫文」というスタイルを築いた初期の漫画家として知られ、小説も記すなど多才な文人です。
 同じく作家である岡本かの子との間の子である芸術家岡本太郎を育てた父親としても知られております。  晩年は、言論統制などにより不遇の生活を送り、疎開先の加茂郡下古井(太田宿のはずれ)で昭和23年(1948)に脳溢血のため逝去しました。
 当時の岡本一平宅「糸遊庵」は、現在中山道会館の敷地内に移築されております。





 


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