中山道の歩き方

歴史情緒あふれる、中山道太田宿のオススメ散策コースをご紹介!

  「中山道太田宿」は江戸(東京)日本橋から京(京都)三条大橋までを結ぶ江戸時代の五街道の一つ「中山道」69次のうち江戸から数えて51番目の宿場町で、飛騨へ向かう「飛騨街道」、関・郡上へ向かう「関街道」への分岐点を持つ場所として、また、平行して木曽川が流れており、交通・物流の要衝として機能していました。

    太田宿は、中山道の三大難所「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれた一つ、太田の渡しのある場所で、木曽川の大水の際は、旅人たちが足止めされたといわれています。後期には「尾張藩太田代官所」が設置されるなど政治的にも重要な場所でした。

    現在では、「江戸と昭和に出会えるまち」美濃加茂市の観光の中核をなすエリアで、ゆったりとした時間が流れるノスタルジックな町並みとなっています。古い町並みが残り、美濃加茂市出身の坪内逍遙はじめ、播隆上人、志賀重昂、岡本一平など、多くの歴史上の人物が足跡を残した中山道太田宿周辺は、美濃加茂市の歴史文化のメッカともいうべき場所です。

    美濃太田駅からも近く、歴史情緒あふれるこの地を、どうぞ歩いてみてください。

中山道界隈の観光スポットをご紹介!

SPOT 1

旧太田脇本陣林家住宅

「脇本陣」とは、「本陣」に次いで江戸時代の宿駅制度上の半公共的な宿泊機関として機能しており、宿場町の有力者がその役割を担っておりました。太田宿においては、林家がその役割を担っており、明和6年(1769)に建てられた母屋が現存し、現在も住居として利用されております。尚、隣接する隠居家も共に国指定重要文化財に指定されており、一般開放しております。(休館日:月曜日 ただし祝日の場合は火曜日)

SPOT 2

旧太田宿本陣門

    旧太田宿本陣門は、広大な敷地を誇る太田宿の本陣において唯一現存する史跡で、文久元年(1861)10月、皇女和宮の幕府への下向のために建てられたと伝えられます。この門は、一間の薬医門で、両袖に半間の塀がつき、旧本陣の偉容を偲ばせる格式あるつくりです。また、当時の本陣には、幕府大老井伊直弼、水戸の天狗党武田耕雲斎などの有力者も宿泊していたようです。

SPOT 3

太田宿中山道会館

太田宿をめぐる旅の出発点で、中山道太田宿の歴史文化、江戸時代の宿場や旅の様子を紹介する展示室や飲食コーナー、物産販売コーナーなどがあります。敷地正面にある巨木はシンボルツリーともいえるエノキで、毎年冬には渡り鳥のヒレンジャクが飛来することでも知られています。

SPOT 4

旧小松屋

太田宿の旅籠(旅館)として「小松屋」の屋号で営まれ、当時の建物が現存しています。現在は、お休み処として一般開放され、時に講談や音楽などのイベントが行われています。(火曜日は開放しておりません)

SPOT 5

祐泉寺

龍興山祐泉寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で、その歴史は文明6年(1474)に遡るといわれております。境内には、播隆上人、志賀重昂の墓碑や北原白秋、坪内逍遙の歌碑、松尾芭蕉の句碑が並んでいます。

SPOT 6

太田の渡し

太田の渡しは、中山道の三大難所の一つで、中山道の旅路においてなくてはならないものでした。大正15年(1926)、太田橋が架設されるとともに役割を終えましたが、現在は石畳の一部が残り、その後平成6年に河床から大規模な珪化木群が発見され、一帯は化石林公園として整備されています。

SPOT 7

御代桜醸造

御代桜醸造は、元々太田宿で料理屋を営んでいたといわれており、明治26年(1893)に酒造業を開始しました。中山道太田宿は、木曽川水系の清水が湧く水源豊富な地であり、酒造りにも適しているようです。御代桜醸造に残る蔵は、明治時代、脇本陣林家のものとして利用されていた蔵を移築し、再利用されたものといわれています。

 

中山道太田宿案内図(クリックで拡大できます)

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