梵鐘が伝える龍安寺の奥深さ
この梵鐘は、久しく土中に埋まっていましたが、享保15年(1730年)に付近の田から掘り出され、前述の竜安寺に寄進したという梵鐘の銘文から、現在のように龍安寺の鐘楼門に吊り下げられたといいます。
このように歴史の古い梵鐘は、南北朝後期の工芸技術をよくあらわしているものとして、県指定の工芸文化財となっています。
伊深町にある碧雲山龍安寺は、17世紀の後半、かつてここにあった永安寺の跡地に再興されたものといわれています。
建立は約300年以上前とされ、造型的にも優れていること、また近在にはない総欅造りであることなどから、市の建造物文化財に指定されています。
また、この鐘楼門に吊ってある「鴻鐘(こうしょう)」とよばれる梵鐘(ぼんしょう)は、南北朝時代の末期の至徳元年(1384年)に美濃源氏の系統の土岐義行から竜安寺(当時は永安寺)に寄進されたことが梵鐘の銘文から判明しています。
この梵鐘は、久しく土中に埋まっていましたが、享保15年(1730年)に付近の田から掘り出され、前述の竜安寺に寄進したという梵鐘の銘文から、現在のように龍安寺の鐘楼門に吊り下げられたといいます。
このように歴史の古い梵鐘は、南北朝後期の工芸技術をよくあらわしているものとして、県指定の工芸文化財となっています。
伊深町にある碧雲山龍安寺は、17世紀の後半、かつてここにあった永安寺の跡地に再興されたものといわれています。
建立は約300年以上前とされ、造型的にも優れていること、また近在にはない総欅造りであることなどから、市の建造物文化財に指定されています。
また、この鐘楼門に吊ってある「鴻鐘(こうしょう)」とよばれる梵鐘(ぼんしょう)は、南北朝時代の末期の至徳元年(1384年)に美濃源氏の系統の土岐義行から竜安寺(当時は永安寺)に寄進されたことが梵鐘の銘文から判明しています。
この梵鐘は、久しく土中に埋まっていましたが、享保15年(1730年)に付近の田から掘り出され、前述の竜安寺に寄進したという梵鐘の銘文から、現在のように龍安寺の鐘楼門に吊り下げられたといいます。
このように歴史の古い梵鐘は、南北朝後期の工芸技術をよくあらわしているものとして、県指定の工芸文化財となっています。
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