祐泉寺
臨済宗妙心寺派の寺院で、美濃西国三十三観音霊場第27番札所です。
寺伝によれば室町時代文明6年(1474年)臨済宗の名僧、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵を建立したことが始まりといわれています。
16世紀の初め、八百津の大仙寺の末寺として祐川庵と称し、後の17世紀後半(寛文年間)に現在の祐泉寺と改称しています。
ご本尊は聖観世音菩薩。
本堂西には瀧場観音堂があります。300年ほど前、太田宿の西から出火した火災で宿内はことごとく焼失しましたが、当時、境内西南にあった観音堂の前で鎮火したと伝えられ、以来、火伏の観音さまとして親しまれています。
境内の石碑
祐泉寺の境内には数多くの石碑が残されています。 大正3年(1914年)、この地を訪れ、太田町(現在の美濃加茂市太田町)から犬山町(現在の犬山市)までの木曽川がヨーロッパのライン河に似ているとして「日本ライン」と命名した地理学者志賀重昂の碑、槍ケ岳を開山した播隆上人の歌碑や墓碑、太田の地で生れ育った明治の文豪坪内逍遙が述懐の念をこめて詠んだ「椿の歌」の碑、北原白秋が祐泉寺を訪れ茶席でしたためた歌の碑、松尾芭蕉の門弟となった脇本陣3代目の林由興(冬甫)が師を悼んで建てた芭蕉の句碑、西園寺公望の石標などが残され、祐泉寺の歴史の古さを物語っています。
御開帳
7年に一度、美濃西国三十三観音霊場の総開帳が行われます。 次回開催日:令和7年4月13日(日)〜20日(日)